どうも、「どんな神楽」を書けばいいのか思いつかなかったのでそれをそのまま書いている神楽です(ぉぃ)(てかコレ一回しか使えねぇジャン……)

 ・起床して一階へ降り、飯を食べる。ほぼ同じ頃に父親が降りてきてパソコンでゲームを始める。
 ・下校した時(12:30頃)も父親はゲームをしていた。
 ・眠かったので6時ごろまで睡眠をとる。降りてみると父親はゲームをしていた。
 上記より父親は一日の半分をゲームに費やしたと推測できるw…まるで俺みたい…。あ、親だから当然か…。

 いやね、別に俺が悪いんだけどね。「…いや…別にいらねぇよ?メールとか…。寂しいだけじゃん…。」とか強がって言っちまったからさ。でもさ、本当にメール一通も来なかった(涙
 ブ男にはまったく縁のない話ではあるが、淡い期待を捨てきれず家のチャイムがなる音を今か今かと待っていたわけですよ
 ま、身の程を知れって奴ですよねw…はは。

 さて、もう涙の力で話題を変えるぞ!え〜い、飛んでけぇ〜(意味不明)

 今朝登校時に駅の前ではしゃいでる変な女性が居ました。おそらく他数名と一緒だったのでしょう。奇妙な乗り物(ちっちゃい自転車みたいなの)に乗って「え?え?わかんない?マジわかんない?!」とか言ってます。

 はっきり言わせて貰おう。

 土曜日の朝っぱらに駅前でそんなことやってるキミの方がわかんないよ

 そうツッコミたい心を抑えて、駅構内に入ろうとしたところを、先ほどの「え?え?わかんない?マジわかんない?!」って言ってた声が

 「ねぇ、○○(←俺の本名)でしょ?」
なんて言ってきた

 「え?…俺?…俺のこと?え?」なんてどんなことにも対応できるように心を準備してから。声のした方向を向く。

 ダレ?

 一瞬何がなんだかわからんかった。

 そこには、箱根駅伝の選手が自分の担当する区を走り終わったときに着せてもらうようなフカフカした上着をフードまでかけている、「ヤマンバメイク」をしたおそらく私と同年代の女性がいた。

 それは不思議な感覚だった。

 なぜならば2004年2月14日にいながらにして、90年代後半の遺物を見ることができたからである。そう、90年代後半に日本に生息していた「ヤマンバメイク」の女性たちはすでに絶滅した……はずだった。しかし生き残りはまだいたのだ。
 ・明らかに日焼けサロンに通っている顔の黒さ
 ・対照的な白いアイシャドウ(って言うんだっけ?)
コレだけでおそらく「90年代後半」と区切られた歴史博物館に飾られること間違いなしだ!「あの人は今」的な番組や、「あの頃の歌」といった感じの番組には引っ張りだこであろう。

 さて、私は少しずつだが話しかけられた人物を思い出していた。次が私の思考のプロセスである。
『まずすぐに思い出せないということは元ではない』

『ということは同じ小学校だった奴である』

こんなんになるような人はあまりいなかった』

 そして、決定的な事が発生する

「私●●だよ?覚えてる?」

 思い出した、完璧に。こんな痛い格好するのはこいつしかいなかった…。なぜ気付かなかったんだろうか……。
 まぁいい、あまり親しい仲でもなかったし、とりあえずテストに遅れてはいけないと考え彼女の問いにはこう答えた。
 「半分?」

 なにが半分なんだよ!…なんて自分で自分に突っ込みを入れつつ登校。

 テストは意外と上手いこといった。結構テンションが高い状態で帰宅し、そして誰からもチョコを貰えず誰からもメールを貰えず、こうして今テンションがマリアナ海溝よりも低い状態で寂しく日記を書いている自分がここにいる。

 おいおい、あまりに寂しいんじゃねぇか?俺?(涙

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